キムラボ 〜 きむらあきらこ(木村聡子)のセルフコントロール研究所

「あなたの1日は27時間になる。――「自分だけの3時間」を作る人生・仕事の超整理法」(ダイヤモンド社)著者で税理士の木村聡子(きむら・あきらこ)がお送りする、バーチャルな研究所。時間・行動・お金のセルフコントロールに関する情報を中心にお届けしています!おそらく、日本で一番年間移動距離の長い、旅する税理士でもあります。

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こんばんは!時間・行動・お金をセルフコントロールする術を、毎日ブログでお伝えしています。税理士の木村聡子(@kimutax)です。

これがおそらく、2016年最後の投稿になると思います。今年も大変お世話になりました。来年も、木村とキムラボを宜しくお願いします。

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さて、今年最後のエントリー、何を書こうか考えていました。いつもと同じように、淡々と税務やセルフコントロールのエントリーで〆るのもクールでいいかな?と思ったのですが…

立花岳志さんのこのエントリーを拝見し「私もコレにしてみよう!」と。
1年ではなく、自分の人生のここまでの振り返り。いいじゃん!

立花さんご自身は、こちらのブログ記事に触発されたそうですよ。


実は、もともと自分のウェブサイトに、こんな長〜い「履歴書」を書いていました。

これ、3年前ホームページを作るにあたり、自分の経歴を書いてみたところ、
「高校生までで、すごく長くなっちゃったww これはボツだ!でも、ここまで書いたのにもったいないから、Facebookに上げてしまえ」
と、軽い気持ちでFacebookにアップしたところ、大反響。

ホームページ制作会社の社長からも
「これは最後まで書いて、ホームページにも載せちゃいましょう」
と励まされ書き上げた、おそらく日本でも有数の長文経歴書です。

これを抜粋・修正・加筆して、「キムラの人生に大きな影響を与えた10の出来事」を書いてみました。こちらもホームページに負けず劣らずの超長文になってます。覚悟の上、よろしければお付き合いください。

1)1974年頃(8歳)広島に縁もゆかりもないのに、なぜか広島カープのファンに


小学生や中学生の頃の友人は、今年の広島カープのニュースを目に耳にするたびに、私のことを思い出したそうです。

それくらいまでに、幼少の頃から「カープと言えば木村さん、木村さんと言えばカープ」だった私。

あまりにも昔過ぎて、ファンになった明確な理由は覚えていないのですが、池谷公二郎投手をカッコいいと思ったのが、のめり込むきっかけでした。

そして、ファンになった翌年、9歳の時に、広島カープ球団創設25年で初優勝。
赤ヘルフィーバーが、今に負けず劣らず社会現象になり、生涯広島ファンが確定してしまいました。

その後幾度となく、野球やカープに基づいて、人生の選択(高校や大学の選択など)をしていますし、広島がもう第2の故郷同然になっているので、間違いなく、自分の人生を大きく左右しアイデンティティを形成した、最も古く、かつ、最も大きなできごとです。

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2)1982年春(15歳)都立青山高校入学


高校は都立青山高校を、軽い気持ちで目指しました。
ほんとうは当時高校野球の強かった桜美林高校に行きたかったところ、親から

「そういう理由で進路を決めるのはやめてくれ。頼むから高校は都立に行ってくれ。大学は好きなところに行っていいから」

と言われたので「定期券で神宮球場に野球を観に行けるゾ!」という安易なノリで、神宮球場の目の前にあった都立青山高校を志望校にしたのです。

ただし青山高校は当時から、クラスで1〜2を争う秀才が目指す超難関高校でした。中3の11月の三者面談で担任に
「高校浪人は出したくないから、諦めてくれ。」
と言われるありさま。

そこでその日から、中1からの全教科書をひっぱり出し、都立の受験日までの日数でページ数を割り、夜を徹して死にもの狂いで勉強をし、500点満点中470点で合格。これは自分でも思ってもみない成果でした。「私を含めて、人間、やってやれないことはないんだ!」と考えている原点は、ここにあります。

その後、税理士試験に合格したのも、そして、著書を書くことができたのも、この原体験のおかげだと思っています。

3) 1991年4月(24歳)〜閉塞感いっぱいの新卒後2年間


大学時代から就職活動時期にかけて、日本経済はバブル真っ盛り。

企業も「わが社に来てください」とぺこぺこアタマを下げ、就職の内定を得た時点までは、苦労らしい苦労を知らなかった人生だった私。

ところが、その後バブルは崩壊。そして入社した会社からは一転
「お前たちが一番使えない世代だ!」
と手のひら返しのような仕打ちうちを食らいました。

しかしこれは会社が非情なのではなく、学生時代遊びまくり、これといった技能を身に着けていなかった自分も確かに悪いと感じました。
 
それと同時に、社会人になったら仕事で充実感を味わえなければ、プライベートも含めて人生がまったく楽しくなくなることを痛感。

「ああ、もう一度学生に戻れたら、勉強を必死にするのに。そして、仕事に役立つ知識や技術を身につけるのに」

と、ここで生まれて初めて自分の半生を激しく後悔しました。

この閉塞感いっぱいの新卒後2年間を過ごしたからこそ、資格取得を思い立ち、会社や組織に頼らずに生きていこうという気持ちを強くしたのだと思います。

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4) 1994年12月(28歳)税理士試験最初の年は不合格


その後紆余曲折を経て、会社を辞め、税理士試験にチャレンジしようと決意します。

実は税理士を目指すと家族に伝えたところ、親戚含めて皆に反対されました。というのも私は、高校・大学とろくすっぽ勉強をしない子だったからです。大げさではなく、
「高校受験前の3ヶ月以外は、お前が机に座っているところを見たことがない」
と親に言われるような人間でした。
 
ですから、「難関国家資格にチャレンジするだけ、お金と時間の無駄」と親が思うのもムリはない。

そこで出された条件が「1年目で合格科目が出なければ、そこで受験を諦めろ」でした。

そして1年目合格科目ゼロ…。親に反対されても未成年ではあるまいし、なんとかして続けるつもりではいたが、家族の応援や理解無しで、働きながらこの資格の勉強を続けるのは、さすがに辛い。

ところが、ここで親は「受験をやめろ」とはひとことも言いませんでした。

『結果は出なかったけれど、毎日机に向かって勉強をしている姿勢は伝わったんだ』
『きちんと評価してもらえたのだ』

ということに、気づきました。合格科目ゼロだったとはいえ、親を日々の姿勢で認めさせることができたことが、翌年以降の受験への自信となったんです。

それに、1年目の受験がうまくいかなかったことで、翌年以降への闘志もかきたてられました。私の性格だとここでポロっと合格してたら慢心していたに違いない。

受験1年目で泣いたことが、結果的に良かった。

5) 1997年9月(31歳)公認会計士2次試験の勉強を開始


税理士試験の受験中、すっかり勉強の面白さにハマり、税理士試験の官報合格の結果を待たずして公認会計士の受験勉強を始めました。

結果として、会計士合格はなりませんでしたが、2年弱、会計士になるつもりで本気で勉強しました。

また、会計士受験をとおして出会った良き友人たちとは今でも交流があり、原価計算・監査論・商法・民法など税理士受験で学べなかった知識は、その後の自分の財産になっています。

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6)1998年頃(31歳)初めてのウェブサイト


会計士受験時代のライバルであり、今でも友人であるMさんが、自身のウェブサイトを作っていたことに刺激を受け、私もホームページ作成ソフトを購入し、「あきらこの生涯一会計人」という、野村克也の「生涯一捕手」のパクりタイトルのウェブサイトを立ち上げました。

これでHTMLやITの知識をひととおり身に着けることができた!
おかげで、今もCSSなどいじって、ブログカスタマイズはほとんど自分でしています。

また、このサイトが当時、税理士・会計士受験生の間でそこそこの人気を得たことで
「ひょっとして私、発信力があるのかな?(*´∀`*)」
と、その後の執筆活動等の原点になりました。

7)2005年10月(39歳)税金ブログスタート


税理士として2000年に独立開業。その後しばらくして、今だから言えますが、事務所経営が心の底から嫌になることが重なりました。

そこで税理士である自分を見つめ直すべく
「1日1つ、税金に関することを書いてみよう」
と、写経の精神で「税金まにあ」というブログを始めました。

当時のブログのキャッチフレーズは

一流のプロ野球選手は寝ても覚めても野球のことを、一流の料理人は寝ても覚めても最高の料理のことを、考えている。ならば税理士も、寝ても覚めても税金について考えているくらいの「税金まにあ」でなければ!

でした。真っすぐで青くさいですねぇ(笑)。

ところが、このブログが思いがけず評判になってしまったのです。特に同業者からの反響が大きかったことにびっくり。一時期、税理士会の研修等に行くと、隣の席の知らない方からも「税金まにあブログの木村さんですよね?」と声をかけられるほどでした。

そして実務誌への執筆や講演の依頼も頂けるようになり、自分に少なからず「ものごとを伝える力」があることを確信しました。

8)2006年3月(39歳)第1回税務会計系ブロガーサミット開催


税務会計系ブログをやっているメンバーで
「確定申告の打ち上げでもやりましょう」
ということになり、洒落っ気で「税務会計系ブロガーサミット」という大げさなイベント名をつけて参加者を募集したところ、東京銀座に日本全国から40名近いブロガーが集結。

その後、東日本大震災で一度の中断があったものの、現在でも続く息の長いイベントとなり、このイベントから同業者間のアライアンスも多数生まれました。

このことでネットの力と可能性を実感するとともに、しがらみのない「緩やかな横のつながり」の重要性と、そういったつながりを若手の同業者が求めていることに気づかされました。

何と言っても、ここで感度の高い新進気鋭の同業者と出会えたことで、井の中の蛙にならずに済んだ!

9)2014年4月(48歳)ダイヤモンド社著者養成講座に応募


友人のFacebookの投稿で、ビジネス書の名門・ダイヤモンド社が著者養成講座を立ち上げることを知ります。友人は著者としても成功されている方なのですが、彼女が 
「私もこの講座、受けたいくらいだわ」 
と言及していたことで、なぜかものすごい衝動に突き動かされ、何の迷いもなく応募。幸運にも、受講者の選抜を通過。

 受講している6ヶ月間、自分の本の企画を練るのですが、その過程で
「自分の中にある、世の中に提供できる価値とは?」
をギリギリギリギリ考えることに。本を出す・出さないに関わらず、「自分の価値の棚卸し」を徹底して行ったことが大きかったです。

今、私は2つほど「次の一手」を繰り出そうとして動いていますが、このダイヤモンド社著者養成講座での経験がなければ、税理士として硬直した事業展開しか、思いつかなかったことでしょう。

10)2015年(49歳)"あなたの1日は27時間になる。”出版


幼稚園の時から、勉強はできなくても作文などは褒められ 
「将来なりたい職業は小説家」 
と言っていたくらい、もともとは文筆家志向の強い人間でした。 

その幼い頃の夢は、いつしか年齢を重ねるうちに消えたものの、ブログと出会い、自分の中の「表現することの喜び」が再燃。そしてブログのおかげで、実務誌への執筆や、セミナー講師の仕事へと結びついていきましたが、成果物をきちんと出せていたわけではなく、「出版」は悲願でありました。

それが叶いました。

本書は、ダイヤモンド社著者養成講座内で考えついた
「プロ野球観戦に行くために、15時で仕事を終わらせている秘訣を書く」  
という、 私のどうしようもない企画を 

「もっと読書に寄り添う視点で」 
と、厳しい叱咤激励を下さった養成講座講師のみなさんの力なくしては存在しえなかったものであり、編集担当の中村明博さんの粘り強いご指導のたまものでもあり、そして、ブログを通じて出会い私に刺激を与えてくれた同業者や、励まし合った著者養成講座のメンバー無くしては世に出なかった、と言って過言ではないでしょう。 

とにもかくにも、私が2000年に独立開業して、 
「私って、こんなに仕事が遅かったっけ?時間の使い方、下手だったっけ?」 
と、打ちひしがれた日々から、いかに試行錯誤したか。その15年をぎゅっと一冊にまとめた本になりました。そして、著書を出すことができたおかげで、明らかに仕事の幅が広がりつつあります。

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まとめ


こうやって振り返ってみると、勇気が出ますよ!

おぎゃあと生まれてから、遊び、学び、成功し、挫折し、挫折し、挫折し…
(どちからというと、挫折のほうが多い)
その中で1つとして、ムダになっていることはないのだと、実感できるからです。

と言っても、それは私にだけ特別なことではなく、誰でもそうであって
1つ1つの点を紡いで線になり、今があるのですが
こうやって振り返ることで、それに改めて気づき、強く実感することで
これから未来に向けて、今の「点」も「線」となり、どこに向かおうとしているのだと
改めて自身の可能性に気づくきっかけになります。

そして今、自分が取り組んでいることが
来年・数年後・人生の
「10大出来事」になるとしたら
痛快ではありませんか!!

また節目節目で、この「10大出来事」のふりかえり、やってみよう。
たちさん古川武士さん、きっかけをありがとうございました!

そしてみなさま、良いお年をお迎えください!

※昨年12/11に私の2冊目の著書が発売されました!本屋さんなどで見かけましたら、まずはお手にとって頂けるだけでも、とても嬉しいです(^^)


この記事を書いた人:木村聡子(きむら・あきらこ)

木村聡子
年間移動距離日本一(推定)の旅する税理士。ビジネス書作家。バブル崩壊をきっかけに、1993年(27歳)資格取得を決意。フルタイムで働きながら、実務経験ゼロ簿記知識ゼロからスタートし短期間で税理士試験合格。1998年(31歳)税理士登録。2000年(34歳)木村税務会計事務所創設。ブロガー税理士の草分け的存在。資格取得時に身につけた仕事術・時間術を駆使し、セミナー講師や広島カープの応援で日本全国を駆け回る。実務誌ほか執筆実績多数。著書に「注文の多い料理店の消費税対応」(中央経済社)、「あなたの1日は27時間になる。」(ダイヤモンド社)。
さらに詳細なプロフィール執筆・講演のご依頼近日開催セミナー情報公式サイト


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